アイデンティティを固定化させない
「人は誰でも複数のストーリーによって形作られており、(略)、それが、ナラティヴ実践の基本となる前提だ。」
「自己実現という価値観、、、そのために自己が単一で一致した完成体になることを目指そうとする。
ナラティヴ実践は、これとは別の考え方を提唱している。
ナラティヴ実践では、アイデンティティを形作るナラティヴがばらばらであっても問題とは考えない。
それどころか、むしろ逆に、それを喜び、活用しようとする。、、
人や関係性を一つのまとまったストーリーにしようとせず、複数のストーリーとして見ていく、、
どんな視点であっても、大事なのは、対立ストーリーと並行しながら展開させていくことなのだ。」
「問題ストーリーから離れ、それに対抗するナラティヴを展開させること、ナラティヴ実践は目指す」
アイデンティティを固定化させない、動くものとして考えていくことで、それが可能になるということなのだろう。
読書会参加者の「相手の話したことを無理に要約せず、話せなければ、とにかく待つ」ことの大切さを話されたある実践家の訓話が紹介された。
自分が理解できる枠に押し込めて相手を固定化してしまうことは、自分もその枠の中に固定化していく。
もし、自分が理解できる枠を離れた相手のアイデンティティを認めることができるならば、それは自分の枠からも自由にしてくれるものだと思う。
そのように人に向き合っていきたいと感じるストーリーだった。
「」引用(『いじめ・暴力に向き合う学校づくり: 対立を修復し、学びに変えるナラティブ・アプローチ 』ジョン ウィンズレイド (著), マイケル ウィリアムズ (著),綾城 初穂 (翻訳),新曜社)
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