「学校という場所は、どうしたら他の人とうまくやっていけるか、どうしたら自分のしたいことを強行の福祉との間で調整していけるか、そしてどうしたら排除でなく包摂する形で他者との違いを扱っていけるか、そうしたことを子どもたちが学んでいくべきところでもある。」*
学校の授業で、民主主義については教えてくれるが、
民主主義で必ず生じて、それでも乗り越えなければいけない意見の対立をどのように扱っていくかについては、教えてくれない。
制度や、少数意見の尊重というメッセージを知っているだけでは、民主主義は機能しないにもかかわらず。
対立に扱うこのテーマを扱うことは先生たちにとっても荷が重いと思う。
しかし、逃げていては、実践の機会は学校以外の場所に求めるしかなくなってしまう。
対立はあるもの、あるけれど建設的に対処していくことが必要なものとして位置づけること、それを扱う実践を義務教育の中で行なっていくことは、一人一人が発言権をもち、耳を傾けてもらえる社会の実現に必要なことなのだ。
対立を修復することを学こととは民主主義社会の一員となるための備えであるのだという著者の志に感銘を受けた。
*(『いじめ・暴力に向き合う学校づくり: 対立を修復し、学びに変えるナラティブ・アプローチ 』ジョン ウィンズレイド (著), マイケル ウィリアムズ (著),綾城 初穂 (翻訳),新曜社)P.15より
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